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冷えた頭で斬りつける

悠久なる雪月花さんの、雑記…あれで生きていたら死んでいった奴に申し訳ねえⅡを見て思うところがあったので、久々に書きます。私なりの種に対する見解。(今回は種信者の方も見てください)

正直な話、信者もファンもスタッフもぶった斬るようなテキストを以前に公開したので、溜飲は下がっていました。ですが、少々首を傾げてしまう意見やら感想があったので、久々にキーボードーを打つことにしました。
キラ死亡か否かの描写については、
軒下三也雄荘 ~Blog side~さんで書かれているように、〝死亡した描写はなされていない〟にほぼ同意です。

ですが、死亡したという描写がなされていないだけです。それはつまり、生存しているという描写もなされないないということ。
では、視聴者はどのように捉えるのかというと、キラは死亡・もしくはそれに準ずる状態になったと捉えるわけです。そういうミスリードを狙った描写です、あれは。だから、ネット上でキラが死んだという意見が出るのは当然です。これは叩きの意見ではなく、ニュートラルな視点で見ていれば出てくる意見のはず。

また、勘違いして欲しくないのはこういったミスリードは必ずしもやってはならない方法ではないとうことです。同じガンダムで言えば、Wでトロワやレディ・アンなど似たような手法は使われています。個人的にはやりすぎだと思うのですが、それでもWがそれほど叩かれないのは、〝ビルから転落して骨折しても、自分で治せてしまう〟というGガンダムの流れを組んでいるであろうケレン味溢れる描写が所々に散りばめられているからです。つまり、超人ばかりがいる世界観を、密かに作り上げていたのです。(こういう意味で、WはかなりGに近い作品だと思っています。表現しようとしたことはまったく違いますが)

では、ガンダムSEEDはどうでしょうか? 種はそういった世界観を作り上げることもなく、セーフティシャッターの一言で片付けてしまいました。だから視聴者の怒りを買うのです。Wのように奇天烈な世界観を視聴者に刷り込むこともなく、また、劇中で説明することもなく行われたキラの生還に、視聴者が拒絶反応を起こすのは当然でした。
ですが、これについは目を瞑らなければならないところもあります。この程度の演出しか出来ないスタッフの手腕を嘆きたいところですが、一度くらいは大目に見てあげましょう。それが大人の視聴者というものです。

しかし。

種は一体何度、あの幼稚な装置、もしくは幼稚な設定と演出を使って死者を蘇らせるのでしょうか? 砂漠の虎、(恐らく)フラガ、そして今回のキラ。一度ならず二度までも、三度までも、同じことを繰り返すから視聴者に叩かれるのです。

死んだ描写はしていないから、キャラクターも死んでいない。

この手法が通用するのは一回だけです。少なくとも、二作品に渡って行うことではない。この辺のスタッフのレベルの低さは批判されるべきで、容認すべきところではありません。

長々と書いてきましたが、この辺はどうでもいいです。

私が一番気になったのは「たかがアニメだからいいだろう」という意見。そう、たかがアニメなんです。多くの作品は。

しかし、ガンダムで、しかも「戦争」をテーマに掲げた作品を〝たかがアニメ〟と呼ぶわけにはいかないのです。戦争を扱う時点で、エンターテイメント的な要素をどこかで切り捨てなければならない。戦争に対して、たとえ創作物であろうと真摯な姿勢にならなければならない。〝たかがアニメ〟と思わせてはならないのです。

ですが、種のセーフティシャッターや〝死んだ描写はしていないから生きている〟は、まさに戦争に対するおどけた態度の表れであり、スタッフが戦争を描くことを放棄した表れでもあります。(その他にも、強調される女性キャラの胸の揺れなど、種製作サイドのふざけた態度を裏付けるものは多々ありますが、ここでは触れません。ファンの方もそうでない方も、そんなことは分かっているでしょう? 信者の方も、これは分かってください)

だから、〝たかがアニメ〟と言わせてしまう、思わせてしまう。

これがどれだけ異常なことか、分かりますか? 戦争をテーマにした作品が、〝たかがアニメ〟だからの一言で片付けられてしまうことの異常さが。私はアニメ・映画・小説などすべての創作物を偏見なく見るようにしていますので、アニメだから戦争を描かなくていいなどという考えは持っていません。
アニメでも何らかのメッセージを持ってしかるべきで、そこから何かを学び取っても恥ずかしいことではないと思います。これはガンダムの生みの親、富野監督も仰られていたことです。こう言うと、お前はトミノ信者かよと言われそうですが、違います。

メッセージ、誰かに伝えたいことがあるからこそ、物語は生まれるのです。これはすべての創作物の基本であり、すべての創作者が必ず意識しなければならないことです。そのメッセージをどの程度まで前面に打ち出すかは創作者の個性や嗜好ですが、メッセージのない作品を作る創作者に存在意義はありません。エンターテイメントであっても、どこかにひっそりとメッセージをこめるのがプロの創作者です。

では、〝戦争をテーマにした〟このガンダムSEEDDESTINYは一体、何を描こうとしているのでしょうか? エンターテイメントとしても中途半端で、戦争を描くことも放棄してしまったこの作品は。

答えは、〝何も描こうとしていない〟です。

以前にも書いたように、ガンダムSEEDは主義も主張もない亡霊のような作品なのです。

これが〝たかがアニメ〟と言わせる原因。
こんなアニメが最も支持されるこの時代の異常さ、戦争をテーマにした作品が〝たかがアニメ〟としてしか見られないこの異常さが分かりますか?

怒りよりも先に、戦慄さえ覚えますよ、私は。


※記事の中で取り上げたブログの管理者様方、生意気なことを書いてすみません。ですが、ネットで意見を述べる以上、違う意見が出てくるのは当然ですのでご了承ください。また、違う意見を見てみたいという思いもあり、今回は信者の方も見てくださいと最初に表記しました。的外れな(矛盾がテーマであるとか)コメントには反応しませんが、ある程度的を射ていれば反応します。
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