さてさて、エウレカセブンも今週で最終回を迎えました。二話連続ですが、まとめて書くとフォローが大変なので一話ずつやります。ちなみに今週はいつもより辛口。ただし、批評はしません。
ウチの姿勢は基本的に視聴補助なので。エネルギー使うし。それにネガティブな文章って書いていても読んでいても心と体に悪いんですよね。種死でそれは十分にやったからもういいだろうと。
ウチの感想は( ゚д゚)ポカーンが全て。ただ、そうは言ってもここまで書いてきたわけだから感想放棄することも出来ず。出来うる限りのフォローをしたいと思います。皆様の助けになれるのなら、幸いです。
ではでは、いつものように。※注意。ご意見ご感想お待ちしておりますが、50話までの感想を見たうえでお願いいたします。
オラトリオナンバー8 自我を取り戻す絶望病患者と、そこを急襲するオラトリオナンバー8のデブリ。
絶望病患者が一種のビーコンのようになっているという感じでしょうか。
彼らが目覚めた理由は、司令クラスターに死によってスカブ・コーラルが暴走したから。私としては未だにスカブ・コーラルは一個の生命体だと思っているのですが、ここ数週の話を見る限り、そうではないようです。スカブは種族の総称。司令クラスターが破壊されたからと言って、スカブの統制がとれなくなるだけで種の全滅には至らないのです。
統制の取れなくなったスカブはその身に抱える絶望病患者の魂を第三環界である世界に解放せざるをえなくなったのでしょう。ちなみに冒頭で登場したジェシカちゃんが「分かっている」という発言をしたのは、スカブ内からは地表の事象が感じ取れるから。これはウィルとマーサのケースで、既に説明されていますね。
ウィルとマーサと言えば、彼らを襲ったあまりに理不尽な死。
最終回は脚本が暴走したかに見えますが、彼らの死の意味を考えると、実は意図的にやったのではないかと思えてきます。
ウィルとマーサは「人とスカブ・コーラル」の関係性の縮図であり、また「コミュニケーション」というエウレカにおけるテーマを象徴する存在でもあったからです。彼らが登場するワールド・エンズ・ガーデンはそういった意味で最終回にも等しいエピソードでした。既に「コミュニケーション(共生)」というテーマが描かれていたわけですから。
あとは共生の手段をどうするかというお話で、先々週でレントンでのレントンの決断(スカブ・コーラル内に全人類を取り込むという提案を跳ね除けたアレですね)がそれにあたります。
ところが、ウィルとマーサを殺してしまった。ここで、脚本陣はテーマを粉々に破壊してしまっています。意識的か無意識的かは知りえませんけどね。だから、
最終回で「ディスコミュニケーション」しか描けなくなってしまった。「ディスコミュニケーション」については最終回の感想にて触れます。
もっとも、死んだ人々の精神はスカブ・コーラル内に取り込まれるわけで。そういった意味では「共生」が描かれているとも言えます。この物語が目指す「共生」でなかったことは明らかですが。
ともかく、ウィルとマーサの死についてはエウレカスタッフの趣味の悪さが全開になった最低描写の一つといえましょう(アレ、思いっきり斬ってるよ?)
今週で感想も最後なので細かくフォロー。
ここで言う「共生」とはスカブ・コーラルに〝精神を取り込まれず〟、それ以外の方法で両種族が暮らしていくこと。ただ、その答えについてはぼかしたままで話が進んでしまいました。
本来ならばアクペリエンス4で説明されていなければならなかったのですが。私がアクペリエンス4の感想時にブツブツ言っていたのは、この説明がなされていなかったためでもあります。
※スカブの「共生」は全人類の精神を取り込むこと。
デブリに破壊された塔の街 さて、スカブ・コーラルが物理法則の限界を無視して(恐らく)絶望病患者の収容されている街を狙い打ちにしたわけですが。台詞によると、被害は全世界の三分の一程度。
作品内ではそれほど取り上げませんでしたが、恐ろしい数の人々が死んでいます。エウレカには様々な残酷描写がありましたが、実はこれが一番怖い。というか、不気味。最終話冒頭の「ニュースで流れなければ」にあたります。この台詞とのリンクを考えての描写なら、趣味が悪いながらも演出としてはアリでしょう。ただし、エウレカでこういった演出をする意味があるとは思えません。
テンシャン山脈の大穴 ホランドたちが知らなかったことに、アレ?と思いましたが考えてみると納得。先週ジ・エンドが打ち込んだアンカーはビーコン。ドミニク突入後、すぐに離脱してしまったゲッコー号がオラトリオからの攻撃を感知できなかったとしても不自然ではないかな。司令クラスターの場所はゲッコー号とは位置がずれていたでしょうし。
嘆くニルヴァーシュ コレについてはエウレカが説明してくれているので、特にフォローは必要ないですね。ポイントは、空いたままの大穴。さしものスカブ・コーラルも司令クラスターを破壊されては再生が困難のようです。死の間際といったところでしょうか。
司令クラスターになる ニルヴァーシュと共に司令クラスターになるというレントンたち。49話の一番の問題はここですね。
新しい「共生」の形を模索しなければならないはずだったのに、これではスカブ側の主張する「共生」と変わりがない。確かに司令クラスターが消失しては、ニルヴァーシュのクラスター化が唯一の手段でしょう。(最終回もニルヴァーシュが司令クラスターの代わりをしますしね)ただ、あまりにもアッサリと覚悟しすぎですよね。ここはもっと悲壮感を打ち出していかないと。
何より、エウレカチルドレンまで連れていっちゃ駄目だろうと。司令クラスターを守れなかったレントンたちが真に守らなければならないのは、彼らでしょうよと。いつもなら突っ込まないんですが、テーマに関わってくるだけに触れておきました。まぁ、ホランドの↓の台詞でフォローはされているんですけどね。
ゲッコー号の超機動・大人のやることかぁっ! 今週の見所。アダルトチルドレンだった(現在進行形w?)ホランドだからこそ、痺れる台詞ですね。そしてメカ戦が熱いっていうか、ゲッコー号はどうなってるの!? 乗員、死んでるって。しかもシートベルトなしだよ!! 以前にエウレカの戦艦って
オーバーテクノロジーだよね的なことを書いたんですが、オーバーテクノロジーどころじゃないわ(笑)面白いからいーんですけど。いいドッグファイトでしたw
んで、303の吶喊が素晴らしい。CGなのかな、ロボット視点のアングルとスピード感が秀逸でした。モンスーノの新型は何故か見せ場がまったくありませんでしたが、303の活躍は凄いですねぇ。かっちょいい。しかも、艦内突入でレーザー乱射って最高ですね。鬼すぎる。
予定調和の奇跡 絶望的な戦力差にも関わらず、イズモ艦は沈まず。すべては予定調和だった。というシーン。結局パシフィック・ステイトが起こしたさざ波がユルゲンス艦長で収束してしまったのは残念な限り。
紛い物 ホランド対デューイ。デューイってSOF出身者でしたっけ。過去編はとにかく情報不足なのでよく分からない上にうろ覚えですが、特殊部隊出身者相手に格闘戦を挑めるあたり、日常的に鍛錬は行っていたようです。チャールズと知り合いだったってことは、SOF出身者と見るのが妥当でしょうか。チャールズ含めて、過去編のお話はもう少し欲しかったところ。
さて、紛い物の剣が折れてもデューイは殺されるどころか形勢逆転してみせたわけですが、その後の台詞がどうも。というのも、
どうにも彼の言動のほとんどは〝紛い物〟であるような気がするんですよね。贖罪だなんだとのたまってはおりますが、それがどこまで本心なのかは怪しいところ。
「
私は贖罪しようとしているのだ。贖罪することで人としての尊厳を守り、この星の尊厳を守ろうとしているのだ。それがなぜ分からない!」
ここはまあ、いいかなと。言い方は悪いですが、
地球はスカブ・コーラルに陵辱されたも同然ですからね。真実を知る一族の末裔がスカブに復讐しようとしても不自然ではありません。スカブがコミュニケーションしたがり屋なので陵辱ってイメージは沸きにくいでしょうが、デューイにとってはそうだったというお話。ただし、これが本音かどうかは不明。
「
そう、滅茶苦茶だ。私はこの滅茶苦茶に歪んだ世界を粛清し、尊厳を守るために、自らに業を埋め込んだ。見るがいい! 私の業を!」
ゲッコー号の 信じられない 突撃。
戦艦関連はとことん無茶な描写しまくりですなwエウレカの戦艦戦闘に今更リアリティを求めても仕方がないので、ここは素直に楽しんでいた方がオトク。
デューイの真の目的は世界との集団自殺。デューイの世界は恐らく、父を殺した瞬間に一度終焉を迎えています。その後、彼はアドロックと出会ったことにより〝科学的〟にスカブ・コーラルの存在を知った。馬鹿げた風習に憑かれ、親殺しまでしたデューイにとってこの出来事は耐え切れなかったはず。世界を呪ったとしても、まぁ納得出来るかなと。
ただ、結局この粛清(復讐)もおべっかにすぎないんじゃないかなと個人的には思えます。
デューイは「贄の王」になりたかったのではないかな。それも一人でひっそりと死ぬのではなく、弟の前で。贄の王として選ばれた弟に、贄の王になりたかった兄が自らその存在として散ってみせる――
復讐よりも、妄執といった単語が当てはまるような気がします。彼の妄執はアネモネシリーズに代表されていますしね。 最期まで贄の王たろうとした。デューイの心理を理解したいのなら、こう読み解くしかないんじゃないかなぁ。多分、ほとんどの感想サイトで丸投げされるだろうからウチはフォローしておきました。ただ……デューイに関する情報が少ないのでほとんど「私が作るなら、こういうキャラにする」という範疇でしかないです。スミマセン^^;
「
こうすることで私は世界とこの星と合一した。私の生命は即ち、この星そのものなのだ。抗いたければ抗え! だが、私はこの星の尊厳と共に行く。泣け! 喚け! これが新たな地球の始まりだ!」
恐らく今週で最も混乱を読んだであろう台詞。魂魄ドライブを埋め込んだことが何故、「この星そのもの」ということになるのか。ゆっくり見ていきましょう。
まず、世界と合一したについて。これは魂魄ドライブを埋め込んだこと自体を差しているわけではありません。
デューイの死によって、CFS(魂魄フィードバックシステム)――スカブ・コーラルとのアクセスを可能とするシステムですね――の一種が組み込まれたエウレカとアネモネの首輪が
自壊プログラムをスカブへと送り込む。司令クラスター、つまりスカブの指導者となったモノが自壊プログラムを発すれば自ずとスカブに死が訪れるというわけです。その結果どうなるのかは不明。クダンの限界が起きて、スカブは人類を取り込みつつ段階的に死に至るという感じでしょうか。
人類もスカブも全滅ってこと。
上記の点を踏まえた上での「星との合一」です。デューイが死ねば、世界(星)も終わるということ。はた迷惑なお話ですね。
新たな地球の始まりは無視していい台詞かな。それとも、エウレカが自壊プログラムに抗うことを見越しての台詞だったのか。彼女が抗えばスカブも人類も死なず、新世界が始まるわけですから。その新世界には贄の王は必要ない。デューイの存在価値はなくなる。そういった意味での、「この星(自分)の尊厳と共に行く」ということなのかな。ここまで予定調和を見越しての台詞なら、凄い。ただ、勢いで作っただけの台詞のような気が(ry
まあ、意味を読み取るのなら上記したアプローチから迫るしかないでしょう。
「
ごめん。私約束守れない。ごめん、ごめんねレントン」
スルーされるかと思っていた首輪が日の目を浴びました。これについては最終話感想にてもう一度触れます。
49話はここまで。異常に疲れた。異常者の心理を読み取るのは大仕事ですな(苦笑)
←全主題歌収録!
スポンサーサイト
テーマ : 交響詩篇 エウレカセブン
ジャンル : アニメ・コミック